私の周りの障がい者たち

私は福島県の「ど」がつく田舎で育ちました。
どんだけ田舎かといいますと
1キロ離れたところを走る車の音がきこえるような(^^;)
そんなへんぴな田園地帯です。


おそろしく人口密度の低い
そんなところで育っていても
いまにして思えば
障害のある人は意外と身近にいたことを思い出し
ちょっと書いてみたくなりました。

(文章は当時の小学生の目線で書いておりますので
いまの世の中からすれば不適切な表現を含むことがあります。)


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この頃は障がい児の数も増えてきて
どこの支援学級もかなりの人数がおりますが

私の小学校時代には
田舎の学校にしては珍しく、
同じ学年に
特殊学級の同級生が二人もおりました。
当時ほかに在籍してた子の記憶が1人しかありません。

男女ひとりずつ。
男の子は見るからに・・という感じ。
女の子は言われないと解らない感じ。

おそらく中度から軽度だったかと思われますが
二人が学校で言葉を話しているのをあまり聞いたことがありませんでした。
多動などなく、とても大人しい二人でした。

「特殊学級」と書かれたクラスに
いつも大人しく座っていた二人。
その部屋はおもちゃやトランポリンがあって
ちょっと楽しそうにも思えました。

一緒にいる時間はそう長くはなかったけれど
話した記憶はうっすらとしかないけれど、
子供心に
「あの子たちは知恵遅れなんだから、いじめたりしちゃだめなんだ」と思ってたように思います。

当時障がい児への理解やらなんやらは
おそらく今よりは進んではおらず
担任から私たちへ彼らへの配慮云々を話された記憶は皆無。

でも同じ学校のなかで
いつも音楽と図工、体育を交流しており
小さかった私は障がいがあっても
音楽と図工と体育は一緒にやるもんだと思って育ちました。



私たちは中学生になりました。
彼らは同じ中学の支援クラスに入学しました。

当時通っていた中学は遠くて
殆どが自転車かバス通学。

彼ら二人は、いつもバスで通っていました。
私は暖かい時期は自転車だったけれど
寒くなって雪が多くなるとバスを利用していました。

二人が時計が読めたのかどうかは定かではありません。
ただ当時はいまよりずっと子供たちの数も多く
バス通の子供たちもかなり沢山いました。

バス停でもある最寄りの駅の待合室で
彼らはいつも大人しく座って待っていました。

学校からバス停までは1キロ近くありました。
送り迎えもなく一人でいつも歩きとバスで登下校していました。

「バスがきたよ~」と子供たちがわらわら動き出すと
彼らもそれを合図にするかのように同じくバスに乗り
それぞれ決まった場所でまた静かに降りていき
たとえば親とか先生とか
誰かが送迎していた記憶は有りません。

思うにふたりは
知的にはあまり高くはありませんでした。
卒業文集の作文は幼稚園レベルでした。
しかし身の回りのことは殆ど他人に頼らずとも出来ていて
とても自立度は高かったように思うし
彼らがいて場が乱れた記憶は全くありません。

ある意味協調性があり場に馴染みやすい
そういう特性だったのかと思います。


中学では体育や図工や音楽を一緒にやりました。
体育ではその子のいるチームは当然弱くなるので
クラスのなかでも一番運動神経の良い子を必ず入れるようにしてました。

皆担任などに何も言われなくても
うまくバランスをとって配慮していたように思います。


私たちは中学を卒業しました。
彼らは地元の小さな企業に就職しました。


私たちは大きくなり成人式を迎えました。
彼らも出席していました。

女の子は結婚していました。
袖の短いピンクの着物を着ていました。

相手は40過ぎた地元の男性だと聞きました。
いまもそうですが当時から過疎化と嫁不足の地域。
新聞のチラシに
「外国人妻との結婚を真剣に考えませんか」なんていうのが入ってきていた時代。
「外国の嫁さんもらうよりは・・と思って望まれたのかもねえ」
って誰かが言っていました。

その後子どもが産まれたと聞きました。


昨年ふと思い出して
「あの特殊学級にいた女の子ど~した?」
と母に聞いてみました。

母によると
理由はわからないが離婚したとのこと。
そして実家に子どもを連れて帰ったのだけれど
たまたま実家を継いでいたきょうだいの奥さんが病気で早くに亡くなってしまい
遺された子供と自分の子どもの面倒をみながら
実家で立派に頑張っているとのこと。

母いわく、
「ああいう生き方もちゃんと自立してるってことだねえ」


先日ふと思い出して
幼稚園の卒園写真を見てみました。

二人の写真は・・・ありませんでした。

いまでさえ入園を断られることの多い障がい児。
たとえ一年保育の町立幼稚園といえども
入学させるのは難しかったのか・・・

二人の同級生の母親の気持ちはどうだったんだろう。
田舎ゆえ通園施設なんて気の利いたものはおそらくなかったはず
他の子が幼稚園に通うのを
どんな気持ちで見ていたんだろうなあ。


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なんか懐かしくなってつらつらと思うままに書いてみました。
二人がいつまでも元気でいてくれることを祈りたいです。




この記事へのコメント

2013年05月31日 21:31
こんにちわ。いっちゃんママと申します。
似たようなお話、私にも覚えがあります。大阪のニュータウンでしたが・・・。
亭主(静岡の三島育ち)も同じようなお話をしてくれました。昔の方が自然と自立出来るような社会だったのか、それとも、もっと重度のお子様は見えないところに居たのか(ウチのいっちゃんのようなコのことです)、分かりません。でも少なくともしっかり彼らも心(豊かな感情)が育っている、そして地域で生きて行きたいという希望があったのだと思います。

拝読していて、不思議な暖かさを感じる貴ブログが私は好きです。
これからも楽しみにしています。
ブログ主@いっちゃんママさんへ
2013年06月01日 10:21
はじめましてm(__)mコメントありがとうございます。

>昔の方が自然と自立出来るような社会だったのか
う~んこれは多分、いまでもですが、ケースバイケースだろうと想います。
田舎ゆえ偏見もあったでしょうし・・本人の特性もあったでしょうし・・・いまのほうが施設は整ってるでしょうし・・難しいですね。

>それとも、もっと重度のお子様は見えないところに居たのか

あ~それは確実にありました。
福島県は広いので人口密度が低く通うのが大変なので
支援学校というのは寄宿舎付きだったりするのです。
私は成人するまでダウン症のかたと逢ったこともありませんでした。
都心のほうが障害のあるかたと出会う機会は確実に多いです。

ブログ褒めてくださりありがとうございます(^^)
喜んでしまって木に登りそうです(爆)
そちらのブログも拝見しました、
まだお子さんは小さく、同じ立場のお母様なのですね、
いまが一番大変なときかと想いますが
周りにいっぱい助けてもらってなんとか踏ん張ってくださいね(^^)

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